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会話、沈黙、動きの変化を捉える。
Field Notes
DroRの第1章「その会議室で、何が起きていたのか」ページです。研究と実践を往復しながら、組織変革に必要な論点を整理します。
FIELD OBSERVATION
Field Notesは、COSの理論が現場でどう立ち上がりうるかを描いた創作の物語です。日常の相互作用に、変革の条件を見つける素材として読めます。
会話、沈黙、動きの変化を捉える。
何が起きているかを仮説化する。
個別場面を組織の条件として読む。
次の実践と観察へ接続する。
月曜日の朝九時、僕は会議室のドアを開ける前に、いつも小さく息を吐く。理由はない——というより、本当はたぶん、あるのだろう。けれど、そのことを自分にうまく説明できないままで、もう半年くらいが経っている。
四月の終わり。窓の外では、オフィスビルのあいだの細い街路樹が、ようやく完全に葉を広げたばかりだった。朝の日差しが、まだ少し柔らかい。ドアを開ける前のその一呼吸で、僕は、今日もこの日差しを、たぶんほとんど感じないで一日を終えるんだろうな、とだけ思った。
ドアを開けると、十二人が座っている。半分はノートパソコンを開き、半分はコーヒーカップを置いて、それぞれが軽く顔を上げて僕を見る。
「おはようございます」という声が、揃って返ってくる。明るい。本当に、明るい。
僕の会社はIT系のスタートアップで、創業七年目に入ったところだ。人数は、僕が入った頃の三十人から、いまは百人を少し超えた。プロダクトは伸びていて、四半期ごとに数字は上振れている。先月は社長が業界誌のインタビューに出た。「組織の急拡大期をしなやかに乗り越えている希少事例」と紹介されていた。広報がSlackのgeneralチャンネルに記事のリンクを投げると、二十数個のリアクションがついて、何人かが「すごい」「嬉しい」とコメントを添えた。
僕のチームも、その「拡大」の中にいる。一年半前までは八人だったチームが、そこから少しずつ人が入って、いまは十二人。来月、もう二人増える予定だ。
朝会は、よく機能している。アジェンダは前日のうちにNotionに整理されていて、当日はそれを上から順に処理していく。進捗の共有は短く、的確で、無駄がない。新規プロジェクトの提案には、すでに簡易的な見積もりと、想定リスクと、優先度の比較が添えられている。
誰かが何かを発言すると、別の誰かがすぐに「いいね、進めよう」「私はそっちでいいと思う」と続く。意見はわりと早く揃う。会議はだいたい、予定の時間より十分早く終わる。
完璧、という言葉が当てはまる。たぶん、誰が見ても。
それなのに、僕はドアを開ける前に、小さく息を吐く。
きっかけは、たぶん、半年前のある朝だった。
新規施策の提案がひとつ上がってきた。提案したのは、入社して四か月目の若手で、彼女の名前は仮に朝比奈としておく。朝比奈の提案は、しっかりしていた。背景、課題、解決策、想定効果、リスク、必要リソース——全部が、僕らのチームで共有されているフォーマットに沿って、丁寧に書かれていた。
僕は読み終わって、いつものように言った。
「いいね、進めよう」
朝比奈がうなずいて、
「ありがとうございます。では今週中に詳細設計に入ります」
と返した。会議は次の議題に進んだ。
それだけのことだ。それだけのことだったのだが、その日の昼休み、僕は社食で一人、麺をすすりながら、ふと考え込んでしまった。さっき、自分は何を判断したんだっけ?
提案は良かった。良かったから「いいね」と言った。それは事実だ。でも、僕は、その提案の何を吟味したのだろう。背景は、書かれていたとおりだと思う。課題設定も、たぶん妥当だ。解決策は、ほかにもありえたかもしれないが、フォーマットの欄に書かれていたのは、これだった。リスクは、列挙されていたとおりだろう。たぶん。
たぶん、たぶん、たぶん。
僕は、提案書を読んだ。読んで、書いてあることを、書いてあるとおりに受け取った。そして「いいね、進めよう」と言った。それ以上のことを、僕は何かしただろうか。
——別の解決策を考えたか? 検討した形跡はない。 ——リスクの想定が甘くないか確認したか? 確認した記憶はない。 ——なぜ今この施策なのか、別のタイミングではいけないのか、そもそもやらない選択肢はないか、を吟味したか? していない。
僕は、判断していなかった。僕は、追認していた。
それに気づいた瞬間、麺の味がしなくなった。比喩じゃなくて、本当に、わからなくなった。
社食を出て、自分の席に戻ってからも、しばらくぼんやりしていた。
いつから、こうなっていたんだろう。
まだチームが八人だった頃の自分は、こんなふうではなかったはずだ、と思う。あの頃、誰かが提案を持ってくると、僕はまずホワイトボードの前に立った。提案者と並んで、書きながら考えた。
「ここ、別の切り口あるんじゃない?」
「このリスク、もうちょっと深掘りしてみよう」
「そもそも、これって今やる話?」
——そういう問いを、僕は出していた。出すこと自体が、僕の仕事だと思っていた。
提案者は、最初は面食らったような顔をする。でも、そこから話が転がる。三十分くらい、二人で頭をぶつけ合う。決まらないこともあった。
「持ち帰って、もう一回考えてくる」と言われて、翌週、まったく違う角度の提案が出てきたこともあった。そっちのほうが、ずっと良かった。
そういう時間が、いつのまにか、会議のなかから消えていた。
たぶん、消し去ったのは、僕自身だ。
人が増えてくると、一回の会議で扱う議題が増える。一つひとつにホワイトボード前で三十分かけていたら、議題はさばききれない。
僕はだんだん、提案を「読んで、判断する」モードに切り替わっていった。
最初は意識的にそうしたが、半年もすると、意識しなくてもそうなった。提案フォーマットも、その移行を後押しした——きれいに整理されたNotionの提案を読むと、もう「ホワイトボード前で考える」という選択肢が頭に浮かばない。読み終わったとき、口から出てくるのは「いいね、進めよう」になる。
そして数字が伸びている。それが、たぶん、いちばん厄介だった。数字が伸びているから、誰も「いまの会議、何かおかしくない?」とは言わない。社長は雑誌で褒められている。Slackは絵文字で賑やかだ。新しいメンバーは「成長中の会社」に憧れて入ってくる。誰の目から見ても、僕らは正解の側にいる。
正解の側にいる組織のなかで、自分一人だけが、何かを失いかけている気がしている。
それを口に出せる相手は、社内にいなかった。
その日からあと、僕は会議のたびに、自分の言葉を意識して聞くようになった。
「いいね、進めよう」
「私もそれでいいと思う」
「次の議題にいきましょうか」
——僕の口から出てくる言葉の九割が、判断ではなく、追認の言葉だった。さらにまずいことに、メンバーの口から出てくる言葉も、似てきていた。
「私はそれに賛成です」
「特に異論ありません」
「進めましょう」
会議のなかで「待って、それ違うかも」と誰かが言った場面を、僕は最後にいつ見ただろうか。思い出せない。
数字を見ると、四半期ごとに上振れている。新規プロジェクトは順調に立ち上がっている。離職は出ていない。むしろ、最近の従業員サーベイで、僕のチームのエンゲージメントは社内トップだった。表彰もされた。社長から「星野さんのチーム運営、見習いたい」とSlackでDMが来た。「👏」のスタンプが添えられていた。
それを読んで、僕は、笑えなかった。
笑えない自分のことを、最初は「贅沢な悩みだ」と思った。数字が悪いわけでもない、メンバーが辞めるわけでもない、評価されている。何が不満なのだ、と。こういう調子の良いタイミングに違和感を口にすると、それはただの厄介な人になる。だから僕は、誰にも言わなかった。
でも、業績が良い状態が続けば続くほど、違和感は消えるどころか、むしろ濃くなった。
——会議で誰も反対しないことに、最初は「チームワークが良い」と思っていた。
三か月続くと、「まずいんじゃないか」と思いはじめた。 ——提案が常にフォーマット通りに上がってくることを、最初は「成熟したな」と思っていた。
半年続くと、「フォーマットからはみ出るアイデアは、もう生まれないんじゃないか」と思いはじめた。 ——「いいね、進めよう」と僕が言ったあと、誰も追加で問いを出さないことを、最初は「信頼されているのだ」と思っていた。
一年続くと、「みんな、もう僕には何も期待していないのではないか」と思いはじめた。
最後のは、書いていて、つらい。
ある夜、別の部署を見ている同僚のマネージャーに、ぐちを言った。彼は僕より三つ年上だ。会社近くの、安い居酒屋だった。
僕は、できるだけ慎重に、自分のもやもやを言葉にしようとした。「会議が回りすぎてる気がする」「自分が判断してる感じがしない」「数字は良いんだけど、何かが薄くなってる気がする」——三杯目くらいで、ようやく半分くらい言葉になった。
彼は、しばらく黙って聞いていた。それから、ビールをひと口飲んで、こう言った。「うちだけじゃないよ。どこも、だいたい、そんなもんだろ。スケールするって、そういうことだよ」
そんなもの、と僕は反復した。
「そんなもの、で片づけていいんですか」
「片づけるしかないだろ。それぞれが現場の判断できるように仕組み化するのが、スケールのコツって、よく言うじゃん」
たしかに、そう言う。仕組み化、自走、権限委譲——そういう言葉を、僕はこの数年、何度も聞いてきた。実践もしてきた。実践してきた結果が、いまのチームの「いいね、進めよう」だ。たしかにこれは、よくスケールしている状態と区別がつかない。区別がつかないから、誰も問題視していない。誰も問題視していないから、僕も「自分の感じ方がおかしいのかな」と思いはじめている。
その夜、終電で帰る道で、僕はふと、ある考えに行き当たった。
この状態は、止まっているんじゃない。 毎週、毎日、毎時間、僕とメンバーの十数人ぶんの「いいね、進めよう」と「特に異論ありません」が、会議室のなかで、給湯室のなかで、Slackのなかで、絶え間なく繰り返されている。それは流れている水のようなもので、流れているからこそ、形が固まっている。
止まっていないのに、形が固まっている。動いているのに、変わらない。
これは、たぶん、僕が今まで「スケール」だと思っていたものの、別の名前だ。
川、という比喩がある。
川のほとりに、水車があるとしよう。水車は、くるくると回っている。毎日、同じ速さで、同じ方向に。もう何年も、同じように回っている。ある人が通りかかって言う。「この水車、よく回り続けてるなあ。よほどよくできた水車なんだろう」と。
でも、そうじゃない。水車が回り続けているのは、水車そのものの性能じゃなくて、川の水が絶えず流れ込んでいるからだ。もし水を止めたら、水車は数分で止まる。
僕の組織の「順調さ」も、これとたぶん、同じ構造をしている。「うちはチームワークが良い」「拡大期をうまく乗り越えている」——そういう外側からの評価は、水車の回転を見て「よくできた水車だ」と言っているのと同じだ。本当は、水車を回しているのは水車じゃない。水のほうだ。
僕の会議室に流れ込んでいた水は、たとえばこういうものだった。
——人が増えて、議題が増えた。僕は提案を「読んで判断する」モードに移行した。
——提案フォーマットがきれいに整備された。提案者は、フォーマットに沿って書くことを覚えた。
——僕の「いいね、進めよう」が定着した。メンバーは、その応答を期待するようになった。
——期待された応答が返ってくると、誰も追加で問いを出さなくなった。
——追加で問いを出さない会議が続くと、「異論を出すこと」自体が、なんとなく、場にそぐわない行為になっていった。
——そぐわないことを誰もしなくなる。会議は早く終わる。「進行が良いね」と評価される。
これらが、毎日、絶えず、僕の会議室に向かって流れ込んでいる。僕の会議室の「滑らかさ」は、この水流が作っている模様だった。 模様は止まって見えるけれど、水は止まっていない。水は、毎時間、新しく流れ込み続けている。
だとしたら、「もっと活発な議論を」と僕がメンバーに呼びかけても、何も変わらないだろう。「フォーマットに縛られるな」と言っても、変わらない。問いを出すための研修をやっても、その日は何かが起きるかもしれないが、翌週には水流に押し戻されている。
変えるべきは、水車じゃなくて、水のほうなのだ。
——こういうことを、あの頃の僕は、まだ知らなかった。知ったのは、長谷川さんに会ってからだった。
医者には、二つの仕事の仕方がある、と僕は最近、ある人から教わった。
ひとつは、検査データを見て、診断書を書いて、処方箋を渡す仕事。これはとても大切な仕事だが、この仕事だけで治せる病気は、そんなに多くない。とくに、外見上は健康そのものに見えていて、本人にもまだ自覚がない初期の病気には、たぶん、向いていない。
もうひとつは、患者さんのベッドのそばに毎日通って、容態を観察して、薬の量を少しずつ調整していく仕事。こっちのほうを、医者は「臨床」と呼ぶ。臨床の医者は、偉そうな顔をしない。全部を予測できるとも言わない。「この患者さんは、きっと治ります」とも保証しない。ただ、「このメカニズムをこう動かせば、良くなる可能性が少し高まる」という前提で、毎日ベッドサイドに通う。そして、観察し、調整し、また通う。
組織にも、二つの関わり方があると思う。ひとつは、外から来て、診断書を書いて、処方箋を渡して帰っていく関わり方——コンサルティングとか、研修とか、そういうもの。これも大切だ。もうひとつは、組織の中に身を置いて、毎日の運営に関わりながら、観察と介入を同時にやっていく関わり方。これを、「組織の臨床」と呼ぶことができる。
この本で扱おうとしているアプローチの名前は、臨床組織科学という。英語では Clinical Organizational Science、略してCOSという。名前が少し硬いけれど、やっていることの姿勢を表現するのに、「臨床」という言葉がいちばん正確だった。
臨床、という言葉には、二つの意味が込められている。ひとつは、ベッドサイドにいる、ということ。組織の外から観察するのではなく、組織の中に座って、毎日の水の流れを一緒に見る。もうひとつは、結果を保証しない、でも確率は上げる、という姿勢。組織は複雑で、何が起こるかを完璧に予測することはできない。でも、メカニズムを理解することで、望ましい変化が起こる確率を上げることはできる。
僕がいま自分の組織に感じている違和感は、たぶん、診断書一枚で片付くものじゃない。検査の数値はぜんぶ正常だ。それでも、本人だけが感じている、何か。こういうものを扱うのに、「臨床」という言葉は、思っていたよりずっとふさわしい。
長谷川さんは、うちの会社にBPOで入っている外部のパートナーで、でも「外部」というには長く、毎日来ている。もう一年くらい、週に三日か四日、僕らの部署の業務に関わっている。コンサルタントという肩書きで名刺を持っているけれど、やっていることはコンサルタントとはだいぶ違う。業務を一緒に回し、会議に出て、議事録を書いて、ときどきメンバーと雑談している。
その長谷川さんが、あるとき、社食でランチをしていた僕の向かいに座って、こう言った。
「星野さん、最近、会議でちょっと、表情が硬いですね」
彼女のトレイには、なぜか、馬刺し定食と、プロテインシェイクと、青汁の紙パックが並んでいた。これが長谷川さんの食事の典型だということを、僕はその後の一年で、嫌というほど知ることになるのだが、このときの僕はまだ、純粋に面食らっていた。
僕は箸を止めた。誰にも言っていないつもりだった。社内の誰にも、家族にも、まだ言葉にしていなかった。なのに、なぜこの人は、それを口にするのか。
「……わかります?」
「わかります。三か月くらい前から」
三か月くらい前から——僕は、しばらく黙ってカレーを食べた。食べながら、長谷川さんに話してみる気になった。話しはじめたら、止まらなかった。
会議の「いいね、進めよう」のこと。
判断していないことに気づいた昼休みのこと。
数字は良いのに濃くなる違和感。
同僚に言ったら「そんなもの」と返されたこと。
長谷川さんは、急がない人だ。最後まで聞いてから、箸を一度置いて、目線が空中のどこかで止まった。五秒くらい、そのまま動かなかった。
僕は、その沈黙に、どう反応していいか、わからなかった。聞いていなかったのかな、と一瞬思って、もう一度同じことを言いかけたところで、長谷川さんが口を開いた。
「組織って、土と、風と、回路でできてるんですよ」
僕は箸を止めた。何を言っているんだ、この人は。
「土?」と僕が聞くと、長谷川さんは続けた。
「はい、土です。何が育つかは、土で決まる。それから風。風がないと、植物はひょろひょろで終わる。最後に回路。水や養分が循環する回路。これがないと、ぜんぶが一方通行で消えていく」
「……組織の話、ですよね」
「組織の話です」
長谷川さんは、平然と続けた。
「星野さんのチームで起きてることは、たぶん、土はあって、回路もあるんです。よく回ってる。でも、風が、ない。風がないと、どんなに土が良くても、根がゆるく張るだけで、強い木にはならない。星野さんが感じてる『何か薄い』っていうのは、たぶん、風のことです」
風、と僕は反復した。何かに触れた気がした。
「世の中の組織変革って、だいたい、業績の悪い会社の話なんですよ」と長谷川さんは続けた。
「停滞してる、みたいな。でも、たぶん、いちばん難しいのは、星野さんみたいに、業績が良くて、回ってて、誰も問題視してないところで、何かが薄くなっていくっていう状態なんです。誰にも気づかれないし、自分でも『贅沢な悩み』としか言えないから」
そこまで言って、長谷川さんは、ほんの一瞬だけ、視線を手元の馬刺しに落とした。
「こういうの、放っておくと、ある日、ぱたっと人が辞めるんです。まとめて。私、以前、そういうのを、見たことがあるので」
そういうの、を見たことがある——僕は、その一言のなかに、長谷川さんのこれまでの時間が、ちらっと顔を出した気がした。けれど、彼女はすぐに顔を上げて、続けた。
贅沢な悩みじゃない、と長谷川さんは念を押した。
「贅沢な悩みじゃないんですよ。あれは、土と回路だけで動いてる組織が、いずれぶつかる、ちゃんとした課題です。早く気づいた人ほど、得します。でも、ほとんどの組織は、気づかないまま数年いって、ある日ぱっと数字が落ちる。落ちた瞬間、もう打つ手がない。そうなる前の、いまが、たぶん、いちばん介入しがいのある時期です」
「順番がある、ってことですか」と僕が聞くと、長谷川さんは答えた。
「順番があるんです。絶対に。星野さんの場合は、まず土を、もう一段ちゃんとさせます。次に、風を入れます。風を入れる準備が、土なんです」
僕は、水車の川の話を思い出していた。水の流れが、全部を決めている。
長谷川さんが言う「土」「風」「回路」は、あとから僕が学ぶことになる三つの仕掛けの、いちばんおおざっぱな呼び名だった。正式な名前は、神経基盤設計、場の勾配理論、ループ変換設計という。名前は、正直、ちょっと硬い。でも、名前が硬いからといって、やっていることも硬いわけじゃない。土を耕す仕事は、どの時代のどの場所でも、地味で、手で触れる仕事だ。
次の章で、まず「土」の話をする。
僕のチームに、本当の意味で何かが動きはじめたのは、土から、だった。
半年後、僕のチームの月曜日の朝の会議は、外から見ると、それほど変わって見えないかもしれない。数字は相変わらず伸びている。会議は予定の時間より、相変わらず十分早く終わる。「いいね、進めよう」も、まだときどき出てくる。
でも、ある朝、議題のひとつで、入社五か月目になった朝比奈が、こう言うようになる。
「あの、これ、別のアプローチも考えたほうが良くないですか?」と。
僕が「どんな?」と聞き返す。
朝比奈が、その場で考えながら答える。
梶原が「あ、それなら、こういう懸念がある」と続ける。
十分くらい、議論が走る。
結論は、その朝には出ない。
「来週もう一回、考えてくる」と朝比奈が言う。
——これは、二か月前まで、絶対に起きていなかった種類の十分間だ。
そして僕は、その十分間のあいだ、自分が、久しぶりに、判断する側に回っていることに気づく。気づいて、ちょっとだけ、息を吸う。
その十分間が、なぜ起きたのか。それを次の章から、話していく。
この章で描かれているのは、組織が繰り返し同じ状態へ戻ろうとする力と、行動を再生産している「構造」という、臨床組織科学(COS)の出発点にあたる見方です。水車の比喩は、個人の意欲ではなく相互作用の構造に目を向けるという、本書全体の視点を予告しています。
本作はフィクションです。登場する組織・人物は、臨床組織科学(COS)の考え方をイメージしやすくするために創作されたもので、実在のものではありません。下敷きにある理論は、査読論文として公開されています。
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