DroR Laboratory RESEARCH & FIELD NOTES

Field Notes

第4章「回路の話——批判が、関係を壊さない形で流れるということ」

DroRの第4章「回路の話——批判が、関係を壊さない形で流れるということ」ページです。研究と実践を往復しながら、組織変革に必要な論点を整理します。

第4章「回路の話——批判が、関係を壊さない形で流れるということ」に関連する現場観察と記録のビジュアル

FIELD OBSERVATION

組織が動く兆しは、現場の小さな変化から。

Field Notesは、COSの理論が現場でどう立ち上がりうるかを描いた創作の物語です。日常の相互作用に、変革の条件を見つける素材として読めます。

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会話、沈黙、動きの変化を捉える。

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風が、入ってからの会議室

夏の終わりに入った頃、チームの会議室は、前とは別の場所のように見えていた。

問いが飛び交うようになった。僕からの問いも、メンバー同士の問いも。「その前提、本当にそうなんですかね」「別のやり方、考えました?」「私はちょっと、そこ、違う気がする」——こういう言葉が、一週間に何度も、自然に出てくる。一年前にはあり得なかった頻度だ。

数字を見ても、チームのアウトプットは確実に厚みを増している。採用基準の見直しは、朝比奈の叩き台をもとに、三週間で正式な新基準として運用が始まった。梶原が拾ってくれる微かな違和感は、四半期のリスク管理ミーティングで、複数回、大きな意思決定を救った。奥村の地味な調整力は、拡大期のオンボーディングで、決定的な役割を果たし続けている。

それなのに——と、僕は、八月の終わりの、ある金曜日の夕方、席に座って、思っていた。

会議のあと、メンバーの何人かが、疲れた顔で、席に戻っていく。綾野が、黙ってコーヒーを入れにいく。朝比奈が、長いため息をつく。妻夫木が、ノートパソコンを閉じてから、しばらく天井を見ている。

問いが増えるということは、人の心に、重さも増やすことらしかった。

会議のなかで「違う気がする」と誰かが言う。その言葉自体は、いまのチームでは、受け止められる。否定もされない。でも、受け止められながらも、その言葉は、部屋のどこかに、ふわりと残る。会議が終わったあとも、その「違う気がする」が、言った本人と、言われた本人と、聞いていた他のメンバーのあいだに、目に見えない埃のように漂い続ける。

問いがない会議室には、埃は立たない。問いを始めると、立つ。そして、立った埃は、時間が経っても、勝手には、片づかない。

僕は、それを、自分が設計したはずなのに、自分で扱いかねているという感覚を、夏の終わりに、はっきり持ちはじめていた。


長谷川さんに、相談する

九月の最初の月曜日、朝のスタンドアップが終わったあと、僕は長谷川さんの席に寄って、「ちょっと、相談してもいいですか」と聞いた。

長谷川さんは、パソコンの画面から目を上げて、じっと僕を見た。

5秒くらい、黙っていた。

僕は、その沈黙にももう慣れつつあって、ただ待った。

「……あ、会議のあとの、あの疲れの話、ですね」と長谷川さんはやがて言った。

「え、わかるんですか」

「毎週月曜の夕方、星野さんの肩が、ちょっと重そうにしてるから、そろそろ言ってくるかな、と思ってました」

僕は少しだけ苦笑した。この人は、本当に、よく見ている。

「夕方、少し時間もらえますか」と僕が聞くと、長谷川さんは自分のスケジュールを確認して、

「十七時から、空いてます。会議室B」と答えた。

午後の仕事のあいだ、僕は、自分がこの半年以上のあいだに感じてきた「埃の感覚」を、なんとかうまく言葉にできないかと、頭の隅で考え続けていた。言葉にできそうで、できなかった。


会議室B、夕方五時

夕方、会議室Bに入ると、長谷川さんはすでに座っていた。テーブルの上に、ノートと、やたら大きい水筒と、なぜか梅干しが一粒入った小皿が置かれていた。

「……梅干し?」と僕が聞くと、

「昼間、社食で、おにぎりについてきたやつなんですけど、もったいないから」と長谷川さんは言った。

「梅干しを、ここで食べるんですか」

「あとで食べます。会話のあと、口のなかをリセットしたくなるんですよ、よく」

リセットしたくなる——この言い方も、長谷川さんのなかでは辻褄が合っているらしかった。

「いいから、座ってください」と言われて、僕は座った。

「それで、埃の話、でしたっけ」

「はい」と僕は答えた。

「風を入れたら、問いが増えて、それは本当に良いことで、チームはたぶん強くなってます。でも、会議のあと、みんな、疲れる。疲れが、少しずつ、溜まってる気がするんです。このまま放っておくと、どこかで、何かが、折れる気がします」

長谷川さんは、また5秒くらい黙った。それから、こう言った。

「鉛筆の話、していいですか」

「え?」

「鉛筆の話。急にごめんなさい。でも、星野さんの話を聞いてて、鉛筆の芯を思い出したんです」

鉛筆、と僕は反復した。今日はいったい、どういう話になるのだろう。

「鉛筆の芯って、書けば書くほど、減りますよね」と長谷川さんは続けた。

「書かないと、減らない。でも、書くために、削らないといけない。削ると、書けるようになるけど、芯は短くなる」

「はい」

「組織で問いが飛び交うのって、これと似てるんです。問いを出すたびに、出した人の芯も、受けた人の芯も、ちょっとずつ、削れる。削れないと、書けない。でも、削れっぱなしだと、短くなる」

鉛筆の芯が、人の芯か——変な比喩だが、しっくりは、来た。

「だから、問いを出す仕組みと、削れた芯を、補充する仕組みが、セットでないと、チームは、どこかで削り切ります。星野さんが感じてる疲れは、たぶん、補充の仕組みがまだ足りてないことの、サインです」

補充の仕組み、と僕は書き留めた。

「ちなみに、鉛筆の芯の話って、なんかの理論に、あるんですか」と僕が聞くと、長谷川さんは

「わからないです。いま、思いつきで言いました」と真顔で答えた。

そういう人だ。


回路、という三つ目の仕掛け

「土と、風の次が、回路でしたよね」と長谷川さんは言った。

「はい」と僕は答えた。最初に社食で聞いた、あの話だ。土・風・回路。

「回路って、水の流れ方の設計のことです」と長谷川さんは続けた。

「チームのなかを、いろんなものが流れる。情報、提案、感謝、批判、違和感、不満、疑問。どれも流れているんです。どんな組織でも。問題は、どの流れが、どんなルートを通っているか、です。ルート設計が悪いと、ちょっとした批判が、暴走ループに化けます」

「暴走ループ?」

「はい、たとえば」と長谷川さんは言った。

「誰かが会議で『これ、ちょっと違うんじゃない』って言います。言われた側は、反射的に、ちょっと身構える。身構えた顔を見て、言った側は『あ、言い過ぎたかな』と不安になる。不安になった側は、次の発言で、相手を納得させようとして、もう一段強く言う。強く言われた側は、さらに身構える。これが、一分のあいだに、何往復かする。気づいたら、議論は内容じゃなくて、お互いの防御の応酬になってる」

僕は、胸のあたりを、何かで指された感じがした。最近の会議で、何度か、そういう瞬間を見た気がした。

「この暴走、個人のスキルじゃ止まらないんですよ」と長谷川さんは続けた。

「よく、フィードバックの研修とかで、『柔らかく伝えましょう』『Iメッセージで』って言うじゃないですか。あれ、正しいんですけど、弱いんです。弱いというか、個人の意識に頼ってるから、続かない。三週間もすれば、みんな忘れる。忘れたら、暴走ループが戻ってくる」

「じゃあ、どうすればいいんですか」と僕が聞いた。

「回路の形を、変えるんです」と長谷川さんは答えた。

「具体的には、批判の前に、必ず、別のものが流れるようにする。構造として、そうなる設計にする」

別のもの、と僕は反復した。


3Good1More

「やり方には、いろんなバリエーションがあるんですけど、私たちがよく使う型がひとつあって」と長谷川さんは言った。

「3Good1More、って呼んでます」

「3、グッド、1、モア」と僕は復唱した。

「はい。批判や改善提案——これを『モア』って呼びます——を言う前に、必ず、肯定的な観察を3つ、言語化する、っていう型です。3つの『グッド』のあとに、1つの『モア』。これを、フィードバックの標準フォーマットにします」

「……ああ、サンドイッチフィードバック、ってやつですか。褒めてから、注意して、また褒める、みたいな」

「似てるけど、ちょっと違います」と長谷川さんは答えた。

「サンドイッチは、褒めるのが、批判を飲み込ませるための砂糖、になりがちなんです。で、受ける側もそれを見抜く。『あ、いまの褒めは、あとで批判するための前置きだな』って。すると、逆効果になる」

「3Good1Moreは、違うんですか」

「違います。違うように、使うんです」と長谷川さんは続けた。

「3つのグッドは、砂糖じゃなくて、観察なんです。相手の仕事のなかで、本当に価値があると思ったことを、具体的に3つ、見つける。この『本当に価値があると思う』ところが、肝です。ここで嘘をつくと、回路は壊れます」

「……嘘がつけないじゃないですか。批判したいときに、本当に良いところ、3つも見つからないこと、ありますよ」

「はい。そこがポイントなんです」と長谷川さんはうなずいた。

「3つの本当のグッドが見つからないうちは、モアを言う資格がない、っていうのが、このフォーマットの設計思想なんですよ」

僕は、そのあいだ、自分が最近、会議のなかでメンバーに言っている「ちょっと違う気がする」「そこ、リスクじゃない?」という言葉を、一つ一つ思い出していた。あれを言う前に、僕は、その提案の「本当に良いところ」を、3つ、具体的に見つけていただろうか。

——見つけていなかった。ぜんぜん、見つけていなかった。

「星野さん、いま、顔がちょっと白くなってます」と長谷川さんが言った。

「……バレました」

「バレてます」

長谷川さんが珍しく、少しだけ笑った。


なぜ、3なのか

「ちょっと、ひとつ聞いてもいいですか」と僕は言った。

「なんで、3なんですか。2じゃダメ? 5じゃダメ?」

「2だと、探す側が、ちょっと楽をします」と長谷川さんは答えた。

「1分で見つかる2つを、さっと並べて、すぐモアに行く。だから、観察が浅いままで済んじゃうんです」

「なるほど」

「5だと、見つけるのが、面倒になります。面倒になると、続かない。続かないと、回路にならない」

「3は、ちょうどいい?」

「ちょうどよくはないです。ちょうどよくはないけど、3にすると、少しだけ頭を使わないと揃わない。3つ目を探すところで、人は、相手の仕事を、もう一段深く見ることになる。この『もう一段深く見る』ところが、いちばん効くんです」

「3つ目を探すために、相手をよく見る、ってことですか」

「そうです」

僕は、ノートに「3つ目を探すために、相手をよく見る」と書いた。

長谷川さんは、そのあいだに、なぜか、テーブルの上の梅干しをひと口かじっていた。

「……それ、今食べるんですね」

「いい区切りだったので」


観察が、関係を変える

「これ、やってみるとわかるんですけど」と長谷川さんは続けた。

「3Good1Moreを、ちゃんとやり続けると、モアを言う前の自分が、ちょっと変わってるんですよ。モアを言おうと思った相手の仕事を、3つのグッドを探す過程で、ちゃんと見ることになる。見ると、気づくことが増える。気づきが増えると、当初言おうとしてたモアが、少しずれることがあるんです」

「ずれる?」

「はい。『ここがダメ』って思ってたやつが、実は『ここが一番尖っているところで、でも、副作用が出てる部分』だったり、『ここは、この人の過去の失敗を踏まえた結果、慎重になっている痕跡』だったりする。最初の批判は、見えてなかった層の上で言おうとしていたものだった、ってわかる」

「……それ、モアそのものが、書き換わる、ってことですね」

「そうです。モアの内容が、質的に変わる。この質的な変換が、3Good1Moreの、本当の効き目なんです。単なるオブラートじゃなくて、批判する側の認識を、先に変える装置なんですよ」

装置——長谷川さんは、こういう言葉を、やけにさらっと使う。

「もうひとつ」と彼女は続けた。

「3Good1Moreを、自分ひとりじゃなくて、チーム全体で、フォーマットとして回すと、受ける側の身体反応も変わってきます。最初の2つ目くらいで、相手が『あ、この人、ちゃんと私の仕事を見てる』って、身体的に、わかるんですよ。身体的にわかると、3つ目のグッドのあたりで、聞く姿勢の力が抜けてくる。力が抜けたところに、モアが来る。抜けてるから、モアが、届く」

届く、という言葉が、胸に残った。僕の会議で、僕のモアが、本当に相手に届いているか——これは、最近、ずっと気になっていたことだった。


長谷川さんが、ぽろっと言ったこと

部屋が、少し静かになった。

長谷川さんは、また5秒くらい黙っていた。こんどの5秒は、いつもの「考えている5秒」とは、少し違う感じがした。

そして、彼女は、ふっと、普段より少しだけ短い声で、こう言った。

「私、昔、これが、うまく回らなかった現場、見たことがあって」

——え、と僕は、思わず反応しそうになった。

「批判が、ちゃんと、オブラートに包まれてたんです。言葉としては、優しかった。みんな、気を遣ってた。でも、回路になってなかった。オブラートのなかに包まれたまま、批判だけが、蓄積していって、ある日、ぜんぶ、ぼろっと、落ちたんです」

「……どういう、落ち方ですか」

「主力の人が、五人、同じ月に辞めました。表面上は、何も問題がなかったのに」

長谷川さんは、それ以上、詳しくは話さなかった。僕も、聞かなかった。

「そのときに、私、思ったんです」と彼女は続けた。

「優しさだけじゃ、足りない。構造を、ちゃんと作らないと、優しさは、保存できない。オブラートを作る技術じゃなくて、オブラートが要らない回路を作らないといけない、って」

僕は、自分のノートの、さっき書いた「3つ目を探すために、相手をよく見る」という行の下に、「オブラートが要らない回路」と書き加えた。

長谷川さんは、そのあと、また梅干しをひと口かじって、「まあ、私も、若かったです」と小さく笑った。

若かった、と言う長谷川さんは、僕と、たぶん、そんなに歳は違わない。でも、あの言葉のなかには、僕がまだ知らない数年分の重さが、静かに入っている気がした。


月曜日、3Good1Moreを、導入する

翌週の月曜日、僕はチームに、3Good1Moreを提案した。

「来週から、フィードバックのときの型を、ひとつ揃えたいと思ってます」と僕は朝会で言った。

「批判や改善提案をする前に、必ず、相手の仕事の本当に良いところを、3つ、具体的に言うっていう型です。3つのグッド、1つのモア。略して、3Good1More」

メンバーの反応は、朝の五分を最初に提案したときと似ていた。

何人かが、「ああ、はい」と言った。

何人かが、「……なるほど」と、少し警戒気味に言った。

朝比奈が、笑って「面倒くさそうですね」と言った。

「面倒くさいです」と僕は答えた。

「でも、面倒くさいのが、効くらしいんです。面倒くさいから、相手の仕事を、いつもより一段深く見ることになる。それが効くらしいんです」

「らしい?」

「そう、まだ僕も、半分しかわかってません。でも、試したいと思ってます。つき合ってもらえますか」

綾野が、「ぜひ」と短く言った。

奥村が、うなずいた。

妻夫木が、「星野さん、そういう『まだ半分しかわかってない』って言い方、前より多くなりましたよね」と、少しだけ茶化した。

僕は、照れた。

その日の午後から、僕は自分の口に、しきりに制約を課した。モアを言いそうになるたびに、いちど止まって、「この人の、この仕事の、本当に良いところを、3つ、具体的に、見つけろ」と、自分に命じた。

最初の一週間は、とにかく時間がかかった。会議が、また、少し伸びた。

「えっと、……」と僕が詰まる時間が、何度もあった。

メンバーのほうも、「え、いま、褒められてる?」と戸惑っていた。

でも、二週目の後半くらいから、おかしな副作用が出てきた。


九月、奥村のこと

九月の半ばだったと思う。

朝のスタンドアップに、奥村が5分ほど遅れて入ってきた。

「すみません、すみません」と小声で謝りながら、席に着いた。顔色が、あまり良くなかった。

朝会のなかで、僕は、奥村が出してくれた業務改善の提案について、3Good1Moreで反応しなければならない順番が来た。僕はその朝、いつも通り、奥村の提案の「本当に良いところ」を、3つ、探しながら読み返していた。

読み返しながら、僕は、ふと、気づいた。

奥村の提案書の、構成の順序が、いつもと違う。

いつもの奥村は、背景と目的を最初に置き、次に現状分析、次に解決策、最後にコストとリスクを並べる。論理的で、漏れがない構成。それを、奥村は半年以上、一度も崩していない。

でも、この朝の提案書は、最初に「最近、チームの新人オンボーディングで、以下のような混乱が続いている」という事例の具体がいきなり書かれていた。その次に、「これを放置すると、半年後に以下のリスクが顕在化する可能性が高い」という未来予測が来ていた。

いつもの奥村の構成では、ありえない順番だった。

僕は、それを3つ目のグッドとして、朝会で口にした。

「奥村さん、今回の提案、背景の書き方、いつもと全然違いますね。事例の具体から入って、半年後のリスクにつないでる。これ、読み手にとって、すごく切迫感が伝わります。この書き方、わざとですか?」

奥村が、少し驚いた顔をした。

「……はい、わざとです」と彼女は、小さく答えた。

「あの、実は、この問題、もう三か月くらい、現場で気になってて。でも、普通の書き方をすると、誰も読まないんじゃないかと思って、今朝、書き方を変えました」

三か月、と僕は反復した。

「奥村さん、三か月、ひとりで、これを気にしてたんですか」

「……そうですね、はい」

僕は、一瞬、言葉が出なかった。

そのあと、僕は、予定されていた議題をすべて保留にして、奥村の提案について、チームで30分ほど話した。奥村の言葉は、最初は慎重だったけれど、だんだん、速くなった。彼女が、三か月のあいだに、一人で見ていたものの情報量は、僕が思っていたよりずっと多かった。

会議のあと、長谷川さんが、静かに、僕にだけ届く声で言った。

「3Good1Moreの、いちばん大事な副作用、いま起きましたね」

「副作用?」

「はい。3つ目のグッドを探すときに、星野さんが、奥村さんの提案を、いつもの十倍くらい丁寧に読んだこと。丁寧に読んだから、構成の変化に、気づいた。構成の変化に気づいたから、三か月の蓄積が、引き出せた。3つ目のグッドが、3か月分の奥村さんを、発掘したんですよ」

発掘——という言葉が、あとから、しばらく頭に残った。


奥村の、個人的なこと

その週の金曜日、夕方、僕は奥村を廊下で呼び止めた。

「奥村さん、今週、ありがとう。月曜日の提案、本当に助かった」

「いえ、こちらこそ、拾ってもらえて、助かりました」

それから、僕は、少しだけ踏み込んだ。

「奥村さん、最近、ちょっと、疲れて見えるときがあって。何か、大変なこと、ありそうなら、言ってもらえると、調整できるんだけど」

奥村は、少し迷ってから、こう言った。「……保育園が、七月から、ちょっと安定しなくて。下の子が、少し、園に行きたがらない時期があって」

奥村に、そういう家庭の事情があることを、僕はそのとき、はじめて知った。

「ごめん、ぜんぜん気づいてなかった。これから、朝の調整、柔軟にしていきたい」

「大丈夫です。長谷川さんには、六月くらいに、ちょっとだけ相談して、リモートの日を増やしてもらってて」

「——長谷川さんに?」

奥村がうなずいた。

「はい、長谷川さんが、五月の終わりに、『最近、忙しそうですね』って、通りすがりに、ひと声かけてくれて。そこから、ちょっとだけ」

僕は、長谷川さんが知っていて、僕だけが知らなかった、という事実を、責めずに受け止めようとした。受け止めるのに、少しだけ時間がかかった。

奥村が続けた。「長谷川さん、あの人、たぶん、私たちのこと、よく見てますよ」

そのあと、奥村は、小さく笑って「じゃあ、お疲れ様でした」と言って、帰っていった。

廊下を歩いていく奥村の後ろ姿を見ながら、僕は、自分がこの一年のあいだに学んできたはずの「見る」ということと、長谷川さんが日常的に「見て」いるものとの、まだ結構大きな差を、静かに感じていた。


週次で、回路を回す

3Good1Moreは、翌月から、チームの週次ミーティングの、正式なフォーマットになった。

月曜日は朝会で、短い3Good1Moreを回す。金曜日の振り返りでは、一週間ぶんの、長めの3Good1Moreを、一人ずつ交代で回す。

最初は、やっぱり時間がかかった。でも、三週間、四週間と続けるうちに、探す側の目の速さが、変わりはじめた。メンバーの仕事のなかから「3つの具体的なグッド」を見つけるのに、最初は10分かかっていたのが、5分になり、3分になり、二か月目には、会議のなかで、即興で3つ出せる人も出てきた。

妻夫木が、いちばん早くそれを習得した。妻夫木は、もともと「俺もそれ思ってた」が多かったが、3Good1Moreを回しはじめてから、「俺もそれ思ってた、特に、〜〜のところが、〜〜で、〜〜だから、良かった」と、具体と抽象の両方で話せるようになった。

一度、朝比奈の新規提案について、妻夫木が「最初の三行で読み手の警戒感を下げてるのが、うまい。たぶん、これ、前の提案のときに梶原さんからもらった指摘を、ここで活かしてる。で、リスク一覧の三番目、他の人が気づかないやつが入ってるのが、僕は嬉しい」と、立て板に水で3つ並べたことがあった。

朝比奈が「妻夫木さん、読むの早すぎません?」と笑うと、妻夫木は「だって、3つ見つけないと、モア言えないから、必死」と答えた。妻夫木は、フォーマットの必要に迫られて、読む目を鍛えていた。

梶原は、もっと静かな変化を見せた。梶原の「眉が曇る」瞬間は減らなかった。でも、曇ったあとに出てくる言葉が、3Good1Moreの型に、自然に乗るようになった。

「朝比奈さん、今回の提案、背景のデータが整ってて、前提が壊れにくい。で、リスクの洗い出し方も、前より網羅的。で、ここ、代替案として却下した理由の欄、きちんと書き込んであるのが、僕は嬉しい。その上で、モア、言ってもいいですか」——こういう言い方が、梶原の口から、自然に出てくるようになった。

受ける側にも、変化があった。朝比奈は、3Good1Moreで梶原からモアを受けた日、「グッドを3つ聞いてから、モアを聞くと、モアが、攻撃じゃなくて、情報として、耳に入ってきます」と言った。

情報として、耳に入る——この言い方に、僕は、回路という比喩の本当の意味を、ようやく、ちゃんとわかった気がした。


ついでに、社外にも、漏れる

ちょうどその頃、朝比奈が、月曜の朝会の冒頭で、少し赤い顔で、こう報告したことがあった。

「あの、すいません、3Good1More、社外で、出ちゃったんですけど」

聞くと、金曜の夜、大学時代の友人と久しぶりに飲みにいった席で、友人が

「最近、彼氏とうまくいってなくて」と話し始めた、ちょうどその瞬間に、朝比奈の口から

「あ、ちょっと待って、いまのお話の、いいところ三つ言わせて」が、自動的に、出たのだという。

「友人、なんて言ってました?」と妻夫木が、にやにやしながら聞いた。

「『あんた、なに、人の恋愛相談で何やってんの』って、めちゃめちゃ笑われました。『なんかコンサル研修みたい』って」と朝比奈は答えた。

会議室が、久しぶりに、ちゃんと笑い声で満ちた。

妻夫木が「俺もこないだ、後輩を褒めようと思って3つ並べたら、『先輩、何か裏ありません?』って真顔で聞かれた」と言って、追加で笑いが取れた。

綾野が「僕は、嫁さんのカレーに3Good出して、『あんた怖いよ』って言われた」と続けて、もう一回笑いが起きた。

僕はその日、議事録の余白に、こう書いた。

「身についた、っていうのは、たぶん、こういうことだ」

社内で必要な型として導入したものが、社内に閉じきらず、社外で、うっかり出てきて、笑いになって戻ってくる。理屈ではない。型が、誰かの身体の一部になった、という、地味だが、たぶん、いちばんわかりやすい兆候だった。

長谷川さんは、その朝会の隅で、いつも通り無表情で議事録を取りながら、小さくにやりと笑っていた——ような気がした。


埃が、落ち着く

十月になると、会議のあとの「埃の感覚」が、薄くなっていた。

議論は、前と同じくらい、活発だった。問いも、同じくらい、飛んでいた。でも、会議が終わったあと、メンバーの顔から、あの、夏に感じていた重さが、少しずつ抜けていた。コーヒーを淹れに行く綾野の背中が、少しだけ、軽そうだった。

回路が効いている、と、僕は、10月の半ばに、はじめて、はっきり感じた。

夕方、長谷川さんに、そのことを話した。

「埃が、落ち着いた感じがします」

「ですね」

「これ、何が、変わったんですかね」

長谷川さんは、いつもの5秒の沈黙のあと、こう答えた。

「同じものが流れてるんです、チームのなかに。問いも、批判も、違和感も、前と同じくらい、流れてる。量は、たぶん、減ってない。でも、流れ方が、変わった」

「流れ方?」

「はい。前は、一つの流れが、他の流れを壊しながら走ってた。いまは、複数の流れが、互いに壊さずに、並走できるようになってる。これが、回路ができた、ってことなんです」

並走する、という言葉を、僕は書き留めた。

「ちなみに、長谷川さん、さっきから、なんで、お茶じゃなくて、水筒の白湯、飲んでるんですか」と僕が気になって聞くと、

「あ、これ、白湯じゃなくて、馬のスープです」と長谷川さんは答えた。

「……馬?」

「馬刺し屋さんが、たまにサービスでくれるんですよ。スープにすると、鉄分がすごい」

鉄分のために、馬のスープを水筒で持ち歩く。僕は、もう、突っ込まないことにした。


回路は、意志に頼らない

長谷川さんは、最後に、こう言った。

「回路のいちばん大事なことは、意志に頼らない、っていうところです」

「意志に、頼らない?」

「はい。3Good1Moreが、続くのは、星野さんのチームのみんなが、『よし、今週も、相手のことをちゃんと見るぞ』って、毎週意志を持って続けてるからじゃないんです。週次ミーティングのフォーマットとして埋め込まれてるから、続いてる。フォーマットが、意志を肩代わりしてる」

「神経基盤設計のときの話と、同じですね」

「同じです。組織に根づくものは、ぜんぶ、意志に頼らない形で設計されてる。意志に頼る設計は、三週間で崩れる。フォーマットの設計に持ち込めると、半年、一年、続く」

僕は、ノートに「フォーマットが、意志を肩代わりする」と書いた。

「あと、ひとつ」と長谷川さんは続けた。

「3Good1Moreのフォーマットは、飽きられます。必ず、飽きられる。飽きられたら、中身を変えてください。3を、2にする週があってもいい。モアを『疑問』とか『一緒に考えたいこと』って呼び替える週があってもいい。フォーマットの外殻は、たまに塗り替えるくらいが、長持ちするんですよ」

「でも、芯は、変えない?」

「芯は、変えない。『批判の前に、観察を挟む』。ここは、絶対に変えない」


三つの仕掛けが、揃ったところで

十月の終わり、僕は、自分のチームを、振り返ってみた。

土が、ある。朝の五分は、一年以上続いて、いまや誰も「新しい習慣」だとは思っていない。風が、ある。2-on-1のミーティングは、月に数回、定期的に回っている。回路が、ある。3Good1Moreは、先月から、毎週のフォーマットとして埋め込まれた。

土・風・回路。長谷川さんが最初に社食で口にしたときは、なんの話かわからなかった三つの比喩が、いまは、僕のチームで、具体的な形を持って動いている。

長谷川さんが、そのことに触れながら、こう言った。

「星野さん、これで、設計のいちばん基本のところは、終わりです」

「え、終わり?」

「終わりというか、これ以上、増やさなくていい、って意味です。新しい技法を足すよりも、この三つを、回し続けるほうが、ずっと効きます」

「じゃあ、これから、僕は、何をすればいいんですか」と僕が聞くと、長谷川さんは、いつものように5秒黙って、それから、少しだけ真面目な声で、こう言った。

「回し続ける、っていうこと自体が、実は、いちばん、難しいんですよ」

回し続ける。

僕は、その言葉を、秋のはじめの夕方、会議室Bで、何度か、口のなかで反芻した。


六ヶ月、という時間

次の章では、もう少し長い時間の話をしたい。

半年、一年、あるいはそれ以上の、組織の変化の時間軸。変化は、起きるときに起きるのではなく、続いているあいだに、静かに起きる——これを、時間の話として、少しまとめておきたい。

そして、この本を書いている僕が、いま、どのへんの時間に立っているかについても、少し、触れることになると思う。

土、風、回路を、持続可能な形で回し続けること。簡単に聞こえるかもしれないが、実は、ここまでの三つの技法のどれよりも、難しい。


この章の背景にある概念

3Good1Moreは、COSの三技法のうちループ変換設計(Loop Conversion Design)の実装です。批判が人を傷つける形で循環していたループを、観察と提案が安全に流れる回路へ変換する——この章はその設計思想の物語版です。

本作はフィクションです。登場する組織・人物は、臨床組織科学(COS)の考え方をイメージしやすくするために創作されたもので、実在のものではありません。下敷きにある理論は、査読論文として公開されています。

ループ変換設計(Loop Conversion Design)

3Good1More——観察と提案の回路


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→ 第5章「時間の話——自分の手を離れていくということ」

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